公園訪問:桜を夢想しながら青山霊園を通り抜ける

 区立青山公園を出てすぐに、青山霊園が広がります。
 東京都公園協会が指定管理者として管理を行っており、開設は明治7年、面積は約26haとあります。歴史・規模ともに、すごいですね。

桜はもう少しです 青山霊園

青山ってハイソな感じがします

 町に対するあこがれっていうか、東京目黒育ちで、新宿に通っていたわたしには、恵比寿、代官山とか田園調布とかから通ってた友達もいたので、なんとも思わないのですが、
 青山って、ちょっとハイソな町というか、少しあこがれる地名だったりします。
 これって考えてみると、青山=西洋人のまち(青山外人墓地)って連想があったような気がします。

 ということですが、青山霊園は近くは通ったことが有りますが、中にはいるのは初めてです。

さすが、明治の名家を感じさせる墓地が続きます

 墓石とか墓地とかあまり興味のないわたしでも、圧倒させる、明治からの、、という圧力を感じさせる墓地が続きます。たしかに今の墓石屋さんが整備する墓地とは格が違いますね。
 値段も違うんでしょうが、(昔はそうでもないのかな、、)
 桜はまだですが、桜が咲いたら、もっとすごいんだろうなということを充分に感じさせる、貫禄の墓園でした。

ユキヤナギいっぱい、個性的な墓地、けっこうこういうの好きです

やはり青山霊園と言えば外人墓地ですよね

 とことこいくと、明らかに日本の墓石とは異質な空間。
 外人墓地のエリアに入ります。
 東京都が出している解説板を読みましたが、意外と知ってる外人の方っていませんね。その道では有名な学者さんとか、お医者さんなんでしょうが。

他では見られない、外人墓地 でもなにか日本的な雰囲気がします

 ふーんという感じで見て回ります。

日本の霊園ってやはり墓地ですね

 実は青山霊園なら、もう少しオープンスペースがあるのかと思っていたのですが、、ひとつひとつの墓地は大きいですが、オープンスペースって意外と無いんですね。
 明治時代からとは言え、都心の一等地で、贅沢言ってられないんでしょうか。
 確かに桜とか、高木が有るだけでも緑地としての価値は感じられました が。

有名人の墓石訪ねても、、

 ということで、日本の歴史に関わる有名人のお墓も多数あるようですが、家訓の一つでも書いてあるんならまだしも、ただ墓石見てもなー、という無粋なわたしは、そうそうに都立青山公園に向かいました。

公園訪問:久しぶりの街区公園、港区立の青山公園

 青山霊園への途中、googleマップを見て道を確認していたら、途中に「青山公園」という場所があり、これはちょっと寄っていかねばと思い、少しわかりづらい(電気工事中で目の前の公園へ真っすぐ行けなかった)。場所を遠回りして、見てきました。

新しい遊具と落ち着いた植栽、いい公園ですね

あれ? 街区公園ですか?

 青山公園というので、都立公園を想像していたのですが、ついた場所はどう見ても、いわゆる街区公園。
 googleマップ上ではそれなりの規模を持つ公園のように見えますが、実際は都心に有る小さめの街区公園です。
 子供向けの遊具と、蛇をかたどった水施設が、緑に囲まれてコンパクトに配置されております。

 園名板をみたら、「区立青山公園」。

「区立」青山公園

 あれ? 都立青山公園じゃないのか。
 それもどうやら、隣接する野球場とは実質的に別管理のようです。(googleマップでは野球場も一体で表示されています)。

管理も行き届いているし、比較的新しい遊具ぞろい

 遊具は、複合遊具型の幼児向け滑り台、4連のブランコ(2連は幼児向け)、ガード付きの砂場、三種の神器そろってます。比較的最近のものなんでしょうね。園内はバリアフリー対応。トイレもあります。
 ヘビ型の水施設が目玉施設でしょうか。夏は人気でしょうね。
 たぶんそんなに昔でない時期に改修したようで施設は新し目ですが、けっこう老木の桜とかもあり、植栽は落ち着いた感じがあります。桜はもう少しで咲きそうです。

野球場の記載はありませんね

利用者数もちょうどいい感じです

 平日の午後、小学校はまだ放課後になっていないのか、就学前と思われる子どもたちが、親子連れで、ほぼ各施設に利用者有りと行った感じです。(おかげで写真は撮れませんでしたが)。
 後ろに見える隣接する小学校の授業が終わったら、もっと混むんじゃないでしょうか。

いい公園です

ということで、久しぶりの街区公園の訪問でした(あ、そうかもしかすると隣接する野球場も公園施設だとすると街区公園じゃないですね。どうなんだろう)。

公園訪問:限りなく公園的なオープンスペース、100年のイチョウに興奮の明治神宮外苑

 3月も終りに近い平日、久しぶりに明治神宮外苑を訪問したくなり、出かけて来ました。

公園訪問と言いながら、やっぱ公園じゃないじゃん

 公園訪問と銘打ちながら、庭園や墓園などばかり、いわゆる一般的な公園には出向いていない、このサイトですが、今回は、都市公園ですら無いオープンスペース、明治神宮外苑です。

イチョウ並木の入り口広場

 明治神宮外苑は現在、宗教法人明治神宮が、独自の事業収入により諸施設の管理運営を行っているとのことです。
 ただ、戦前・戦中は国が直接管理を行っており、建設も全国国民からの寄付金と献木、青年団による勤労奉仕により行ったとありますし(明治神宮内苑は国費で建設)、造園も現在では教科書にのっているような国のなだたる技術者が参画しておりますので、ただの宗教施設とも言えない、限りなく公園に近い歴史に残る造園施設ともいえます。

明治神宮外苑ホームページより

外苑といったらイチョウ並木ですが、葉っぱがないと

 わたしは明治神宮外苑といったら、イチョウ並木が浮かんできます。
 ということで、美しい思い出の残るイチョウ並木ですが、葉っぱのない時期のイチョウって、ちょっと間抜けですね。

葉っぱのないイチョウ並木

 ケヤキとかだと葉が落ちても、それなりに樹形がきれいだけど。
 大きいだけに、スケールがちょっと、と、感じさせるのかな。
 とか、勝手なことを思っていたら、

イチョウは折下博士が新宿御苑から採取し育てた100年をこす大樹

 明治神宮が配布しているイチョウ並木のリーフレットを読んでいたら、このイチョウは、折下吉延博士が新宿御苑に勤めているときに、採取した銀杏を育てて植えたものと事。

 知りませんでした。

 平成18年1月記のリーフレットで銀杏から実生して98年とありますから、現在は100年を超える大樹です。外苑に植栽されてからも、83年と記載がありますから、11年を足すと並木になってからも94年ですね。すごい!
 そう思ってみると、上の写真も何やら有り難みが有る景観のような気がしてきます。
(折下博士は、明治神宮の造園整備の陣頭指揮をとった人物の一人で、造園界では「公園緑地折下功労賞」という北村賞と並び、ひじょうに名誉有る賞の名前としても有名です。)
 東京都公園協会の発行しているパンフレットには「300mの直線道路に146本のイチョウが9m間隔、4列に植えられている。絵画にも造詣の深かった博士は遠近法を取り入れ、絵画館に向かって少しずつ樹高を低した」とあります。
 9m間隔ですか。
 街路樹の高木植栽は「道路緑化技術基準・同解説」(社団法人 日本道路協会、昭和 63 年 12 月)だと6~10m間隔、「道路緑化ハンドブック」(山海堂、平成 11 年3月)とかだと8m(必要に応じて間隔を縮小)とあります。
 樹種もさることながら、植栽間隔って悩むんですよね。管理者としてはできるだけ少なくしたいという要望ありますし。

初めての絵画館です

 実は、わたしが通った高校が新宿にあり、部活のランニングでよく外苑のイチョウ並木も走っておりました。
 絵画館コースと呼んで、トレーニングのコースでは一番ラクなコースだったのですが、夏合宿も終わり、体力増強とか励まないでいい頃の秋口よく利用してました。
(そう言えば、瀬古選手とかたまに見かけました。 早いんですよね、やっぱ。 走り方にオーラを感じさせると言うか。遠くからでも目立ってましたね。)

絵画館のファサード 近くで見るのって初めてです

 ということで、部内では先輩から伝わるまま「絵画館コース」と呼んでいたんですが。そう言えばなんで「外苑コース」じゃなかっただろうかと、思ったのも、今回出かけてみる気になった要因のひとつです。
 絵画館を望むコースではあっても、目の前を通るわけじゃないし。
 そう言えば絵画館って言っても何を飾ってあるのか、不思議だったので。今回はじめて中にはいってみました。

 中はもちろん撮影禁止ですので、ファザードだけ。ファザードのデザインはわたしはあまり好きでないですが(築地本願寺みたい)。
 歴史ある建物で、昔の空調やライティングが限られる中、絵画鑑賞用につくられた建物として、一見の価値は有りです。
 

日本最古のアスファルト舗装

 絵画館の前を写真を撮りながら歩いていたら、新宿区が出した解説板が有り、なんでもここのアスファルト舗装は、我が国初の大規模アスファルト舗装であり、日本最古の車道用アスファルトとのこと。1924年5月から1926年1月に施工、1922年に改良を行ったとのこですが。

日本最古の車道用アスファルト舗装

 この写真の部分のアスファルトは昔のままとのこと。なにやらこういうの見てると嬉しくなります。
 でも、1924年というと大正13年。命あるイチョウが100年以上で現役であること考えると、アスファルトの歴史って意外と新しいですね。

やはりお弁当はかかせません

 ということで、絵画及び絵画館を鑑賞した後、こういう内容だったのかと、それなりに満足した後、やはりお弁当は欠かせません。
 出かける前は、お弁当使う所あったかな、と心配していたのですが、静かな緑地帯など、全然心配いらないですね。
 お昼時でしたので他にも食事されている方、何人かいらっしゃいました。
 素敵なベンチ&テーブルもあります。

素敵なベンチとテーブル 民度高いです

 いいところですね。静かだし、綺麗に管理されてますし。
 わんちゃんの散歩も多くいらっしゃいます。(うちの四足利用特別研究員のマリと違いみんな血統書付きっぽい高級なわんちゃん達でした。)

本日は懐かしの海苔弁(海苔
二段)です

 ということで、お弁当も高校時代を思い出して、のり弁です。
 ほか弁とかでは、のり弁、安いのでけっこう利用してましたが、自前では高校以来かな。。
 こだわりは、写真ではわかりませんが、海苔とご飯が2段になっているところ。味付けは醤油だけ。海苔は焼き海苔ではなく、三陸産の乾燥海苔を電気コンロで焼いたもの(焼きムラあり)です。

子供向け「にこにこパーク」、盛況でした

 電動自転車に子供を載せて、お母さんの一段の向かった先は、「にこにこパーク」。
 平日なのに、就学前の子どもたちですごく賑わってます。
 あやしまれそうなのであまり写真とか撮れませんでしたが、大人300円、子供100円の有料施設です。
 子供二人連れだと500円ですか。毎日となるとけっこうですね。
 ホームページをみると、中の施設は、普通の地区公園クラスの公園にある遊具と変わりないものが、、。
 安全と安心のためなら、500円ぐらい安い時代なのでしょうか。

盛況のにこにこパーク

 ネットでの評判は、いいですね。あれだけ賑わっているのだから当然でしょうか。
 ちょっと考えさせられるエリアでした。

自動販売機も気遣いされてます

 ところどころに設置されている自動販売機も、ただ置いてあるだけでなく、ゲートを付けて素敵です。
 これゲートがなかったら相当無骨な空間になっちゃいますよね。
 ゲートの裏には、空き缶入れの回収ボックスも隠されますし。

自動販売機もおしゃれしてます

 どうして普通の公園でこういうことが出来ないのか、、不思議です。

健康遊具のコーナー、無茶古そう

 運動施設群の間には緑地帯があり、街区公園的な利用がされております。
 健康遊具のコーナー、すごく古そう。現在では健康遊具コーナー、公園には無くてはならない施設ですが、けっこうこれ出始めの、初期タイプじゃないでしょうか。
 看板には、遊具メーカーではなく、Kawai Steelというロゴが、あまり聞かないメーカーだと思って調べてみたら、鉄鋼業としては大きなところのようですね。現在は遊具とかやってなさそうでした。

健康遊具コーナーの走りに近いんじゃないでしょうか

 しかし、カワイスチールっていうけど、ほとんど木材ですね。。

 同じ場所に設置されていた水飲み、現在は使われていないようです。1974年(昭和49年)3月ですか。
 交通戦争は「1970年(昭和45年)にピークに達するがこの後減少」とありますが。こういう地道な啓蒙活動もあったんですね。たぶん私のようにひねくれた子供には効果なかったでしょうが。

水飲み、使われてないのが残念

 

見ておきたかった新国立競技場建設現場

 実は絵画館と並んで、ここも見ておきたかったですが、新国立競技場の建設現場です。
 もう少し感じるものがあるかと思ったんですが、ただの大規模土木工事現場でした。
 国立競技場、壊される前に来ればよかったです。
 壊される前の国立霞ヶ丘競技場は、1958年(昭和33年)完成だそうです。その前身の明治神宮外苑競技場というのが1924年というから、前記のアスファルト舗装と同じ年ですね。

新国立競技場の工事現場

周囲はマンションでしょうか、建設が続きます

 2017年4月21日の日本経済新聞の記事よると「アベノミクス景気、戦後3位の52カ月」、世の中、戦後3位の好景気が続いているそうです。ただその後に「実感乏しい回復」との記事タイトルですが。
 でも、たしかにたまに東京出てみると、建設現場のクレーンが目立ちます。マンションでしょうか、新国立競技場の近くでも建設が続いてました。

建設が続きます

懐かしいです明治神宮の野球場

 明治神宮の野球場、懐かしいです。野球だけでなく、社会人になってからは花火とかでも訪れたことが有ります。けっこうかっこいい建物ですね。
 そう言えば、近くに亡くなった元上司の出身校である青山高校も見ようと思ってたのですが、通り過ぎてしまいました。

明治神宮の野球場

 まあ、いいか。

 ということで結局、ランニングコースの名前を「外苑コース」でなく「絵画館コース」と呼んでいたのかはわからずじまいでしたが、ひととおり外苑を訪問した後、時間も有るので青山墓地を訪問してみました。

公園訪問:梅と陶器市に賑わう大宮公園

 今回は、大学時代の研究室の友人に誘われて、大宮公園を訪問してみました。

第33回梅まつり開催中

 ということで梅まつりに賑わう、2月日曜日の大宮公園ですが。
 太政官公園であり、本多静六博士設計の公園ということで、埼玉県を代表する県営公園です。

面積が広く歴史もある分、管理者も複雑ですね

 大宮第一、第二、第三公園の3つに分かれており、大宮第一公園は県が直轄で、第二と第三は「埼玉県公園緑地協会・埼玉県造園業協会グループ」が指定管理者として管理を行っています。
 その他、大宮アルディージャが本拠地にしている、大宮公園サッカー場は、さいたま市からの指定管理者で、公益財団法人さいたま市公園緑地協会が管理してたりと、複雑です。
(この大宮公園サッカー場、現在はネーミングライツでNACK5スタジアム大宮ですが、日本初のサッカー専用競技場(1960年4月9日)で、日本最古のサッカー専用競技場だそうです。)

ないものはない? 公園施設の見本市

 施設も、サッカー場から、野球場、プール、テニスコート、体育館などの運動施設から、歴史博物館、動物園、遊園地など、もちろん花見もできるし、池、芝生広場、ビオトープ、日本庭園など、無いものは無いのではないかというぐらいてんこ盛りの広域公園です。
 そのわりに、ごちゃごちゃした感じがしないのは、歴史があるせいでしょうか。
 それとも各施設がそれほど大きくないからかな、各施設の間に落ち着いた緑地があり、配置がいいってのは有るでしょうね。

第33回梅まつり 開催中です

 2月18日から3月12日まで、梅まつりです。第33回っていうからなかなか続いてますね。人でもなかなかです。駐車場は足りてますが、進入口がうまくないのか、周辺道路が混雑しているようです。
 もう少し、うまくはけそうな気がしますが、県の公園協会さん、プールの進入口ほど苦情来ないせいでしょうか。まあ、時間的に本当に混雑する時間帯は限られてはいますが。

陶器市も人気なんですね

陶器市も開催してます

 梅林よりも広いんじゃないかと思えるほどの巨大テントの中で、陶器市も同時開催中でした。
 梅まつりと同じ期間、1月近くの長期イベント。
 人でもすごいですね。ちょっとわたしの感覚では、ついていけませんが。陶器市って人気あるイベントなんですね。
 わたし土系の鍋とかカトラリーってけっこう好きですが(特にお弁当箱系)、どうもこの陶器市はついていけ
ません、なんでこんなに人手があるのか不思議です。

駐車場が陶器市の開催場所です

 でも団子屋さんや軽食店も出てて、みなさん楽しんでいるようでした。
 のぼり旗もすごいです。日本的なイベント風景ですね。

ギャラリーでは、折り紙作品展も開催

 第2公園ギャラリーで、折り紙のイベントも開催中でした。昔の都市緑化植物園の建物をつかったギャラリーです。こちらも賑わってました。
 折り紙とか、簡単に出来て、お金もそんなにかからないのでいいイベントですね。大宮クラスの都市だと、こういうのやってくれるサークルとかも有るんでしょうね。(今調べたら、日本折紙協会ってのがあるんですね、株式会社で。支部もたくさん、折り紙恐るべし)。

季節ごとに折り紙で飾り付けって良さそうですね

 この日は、参加費200円でお雛様を作る教室も開催中でした。会場では、5段飾りのお雛様まで出現!
 なんか、お内裏様、多いような気もしますが、、
 集団統治体制、あるいは多世代同居を目指した、お雛様でしょうか。

競輪場も無料開放中でした

 競輪場(県営陸上競技場兼双輪場)も無料開放中でしたので、初めて入ってみました。
 残念なことに中は撮影禁止です。

競輪場ではありません双輪場です

 年配の男性諸氏、、不思議な雰囲気でした。
 まあ、個人的には、これはこれでいいのかな、公園としてと思いますが。
 公園施設ですが、県の内部でも総務部の管轄で公園部隊はほとんどタッチしていないようですね。

歴史ある県営競技場(簡体字)

 第2種公認の陸上競技場ですか、、すごいですね。
 ちなみに競の半分ですが、簡体字っていうらしいです。異体字や旧字、略字は知ってましたが、こういう字もあるんですね。

いつのまにか小動物園も立派になってました

 ほとんど鳥小屋程度と思っていましたが、小動物園も立派になってました。
 けっこう楽しめます。小さい子供向けですが。

いつのまにか立派な展示施設に

 ふれあいコーナーとか、見てるだけでも癒やされます。

ふれあいコーナー、大宮公園のスタッフジャンバー

 スタッフの方も、こども動物自然公園から来ているので、小動物園とあなどれない、見ごたえのある施設になってきましたね。

歴史ある広域公園らしい桜や松の林です

 桜の時期は、すごい人での桜の広場も、今日は梅がひっそりと、なかなかいい雰囲気です。

歴史には勝てません。美しいです。

 桜と松、歴史には勝てません、咲いていなくてもいい雰囲気です。

昔のボート池もいい雰囲気です

 昔のボート池、弁天池という名前だそうですが、近くにこんなお散歩コースがあったらいいですよね。
 手すりとかないところが、歴史感じさせます。ほんといい雰囲気ですね。

静かな弁天池

 ということで、早足でまわっただけですが、なかなかいい公園ですね。

 

公園訪問:日差しの変化を楽しむ旧芝離宮恩賜庭園

 とことこと、浜離宮から芝離宮まで。直線距離だと本当に近いですよね。入り口の関係で多少歩きましたが。
 浜松町駅からも近く、昔、埠頭公社の仕事をやっていたときとか、打ち合わせの前とかお昼を食べた後にお散歩兼ねて寄ったりしていた関係もあって、東京都の庭園の中で、もっとも馴染み深い庭園です。

小石川と並ぶ2大庭園の一つ、浜離宮恩賜庭園

 そういえば、大学で造園を学んでいたときに、椎名誠氏のスーパーエッセイで芝離宮庭園を、銀座の職場に近く、海を感じさせる場所って、高評価だったのが意外で、覚えてます(椎名誠氏だと日本庭園とか、ケッお高くとまりやがってとか、こき下ろしそうなイメージがあったので)。
 どの本だったか、銀座のカラスだったか、国分寺書店のおばばだったか、今回、探したのですが、どちらも段ボール箱に詰めてしまったようで、見つかりませんでした。懐かしいな。

久しぶりのエントランスノーズ、随分騒がしくなってます

 駅から近い中で静かな場所ですが、久しぶりに入ろうとしたら、随分、看板、頑張ってますね。。
 これでもかというぐらい、園内の様子を紹介してます。(誰も読んでなさそうですが。)
 お客さんの獲得、頑張ってるんだろうな。

お客さんの呼び込み、大変ですね

 ということで、サラッと見ながら、150円を払って園内に入ります。

小石川後楽園とともに今に残る最も古い二大庭園!

 入り口で頂いたパンフレットの一番はじめの解説に「小石川後楽園とともに今に残る最も古い大名庭園」とあります。へー、そうなんだ。
 家に帰って、東京都の旧芝のマネジメントプランを読んでいたら、このことがはじめに出ていて、こっちでは「小石川後楽園とともに、今に残る最も古い二大庭園のひとつ」とまで書かれています。(二大庭園の一つですか、大きく出たな。好きだけど。)

大きくはないけど、いい庭園です

 浜離宮のように大きくないので、お花とかもこじんまりですが、四季折々楽しめる庭園ですよね。
 梅林と呼べるほどの量ではありませんが、お金かけて管理してますから、美しいです。

量は少ないですが、梅、綺麗です

 水仙も時期的にはおしまいでしょうが、斜面に咲いた花びらに夕方の日差しが差し込んで綺麗でした。

不思議なライティング

 下の写真、なんということはない、松の写真なのですが、すごく不思議な光景で、本来は影の方向が逆なんです。
 隣接して立つビルの窓が反射して、不思議なライティングとなっています。

 はたして、この松、生理的に問題ないのかちょっと心配になります。大した量ではないのかもしれませんが。

こちらのビルがリフレ板となって照らしてます

松の管理、水面上は大変です

 浜離宮でも松の管理をしていましたが、芝離宮でも頑張っています。水面に映える松の管理。大変ですね。

枯滝、清澄庭園ほどではないですが、石も楽しめます

 好きな場所です、枯滝。これでもかというほど、くどいほど石を集めた清澄庭園ほどではなく、程よい石の配置が素敵です。落ち着いてみていられるといいますか。

もう少し気を使ってほしい護岸

 ちょっとな~と感じた護岸です。写真だとあまり雰囲気が伝わりませんが、せっかくの日本庭園もこのような瓦礫状の煉瓦とか、無造作なパイプとかあると台無しです。

 ちょっと無神経な気がしました。改善してほしいです。

日差しが美しく、庭園を映えさせます

 夕陽とまではいかないのですが、日が傾き、斜めの光線が、庭園を映えさせます。
 ほんと美しい時間でした。

 石組みも、立体感がすごいですね。季節によっても庭園は違いますが、時間帯によってもほんと違うんですね。一日過ごしたら、いいだろうな。

 なんでもない築山ですが、こちらも光の加減が素晴らしく美しかったです。なかなか写真で伝わりませんが。

ここも都立庭園です。

 閉園間近まで、日差しを楽しんで、園外にでましたが、この遊具広場もれっきとした、芝離宮恩賜庭園の一部、無料区域です。なんか笑っちゃいますが。

こちらも芝離宮恩賜庭園の一部です

 ということで、浜離宮のおまけ的なつもりで回った庭園でしたが、思いのほか、楽しんでしまいました。美しいです。

公園訪問:2月の桃源郷にメジロが遊ぶ浜離宮恩賜庭園

 ということで、本日のメインイベント公園、浜離宮恩賜庭園です。
 指定管理者として、(財)東京都公園協会が管理を行っており、六義園でも触れましたが、国指定の特別史跡と特別名勝のダブル指定を受けている日本を代表する大名庭園です。

松の茶屋と高層ビル群

 H25年度の入園者数は590,234人。
 月別の入園者数をみると、2月は1万9千人(H25年度)、年間を通じて最も少ない月です。最も多い月が3月で9万3千人ですか。2月と3月で、随分違うんですね。
 ちなみに、入園者数は六義園のほうが微妙に多くて592,020人、浜離宮は2番め。だけど六義園の方は無料入園者数が多いため、入園料収入では、微妙に浜離宮のほうが多いですね。ほとんど違いませんが。
 利用料金収入は約1億3千万、1番です。億を超えているのは六義園とこの浜離宮だけ、三番目の小石川後楽園は半分の6千万円です。施設利用料は小石川後楽園とか清澄頑張ってるようですが、入園料収入が浜離宮と六義園は飛び抜けてます。
 ということで、いきなりマニアックな数字ではじめましたが。


素朴な疑問なんですが、将軍の別邸も「大名庭園」と呼んで良いのでしょうか

そう言えば、この庭園は徳川将軍家の庭園なので、大名の庭園って呼んでしまってよいのだろうか、という素朴な疑問が。
門を入る前から、堀に囲まれたお城の石垣のような外観と、門前の周囲から威圧される広場の雰囲気から湧いてきました。
 外観の雰囲気は、離宮として使われた歴史もあるでしょうが、他の都立庭園よりもむりろ皇居の外観に近い気がします。
広々としてゆったりとした園内の雰囲気も、客に媚びていないというか、沽券を気にしないで、悠々としている気がしますし。
 まあ、言葉の定義的な問題だけなのですが。

「大名庭園」でよいようですね

 江戸時代の徳川将軍家を大名家と呼んでよいかどうかはわかりませんが(なんか駄目そう、違和感ありますよね)。
 この地はもともと、将軍家の鷹狩の場だったそうですが、甲府宰相の松平綱重の別邸「甲府屋敷」となり、その子家宣が六代将軍となったときに、浜御殿とされたそうです。
 庭園の骨格は六代将軍家宣の時代に出来たそうですが、もとは甲府宰相の大名庭園だったと言えないこともないし、いいようですね。「大名庭園」と呼んでも。代表的な大名庭園としてもよくあげられているようですし。
 何れにせよ日本を代表する庭園です。

いきなり菜の花満開です

 実は朝出る前に朝食を取りながらラジオを聞いていたら、浜離宮庭園で菜の花が満開ですとのアナウンスが偶然流れ、あれ、混むかなと思ったのですが、そこそこの人手で、
 話のとおり、大面積に菜の花満開でした。

 香りもよく、やはり浮かれますね。こういう景色は。
 浮かれているのは、人間だけでなく、蜂は狂喜乱舞でみつを集めてました。みつ取り放題です。

本日のお弁当のこだわりは甘酒だったのですが、、

 菜の花の甘い香りと、築地市場で見せつけられて来たので早速、お弁当を使うことに。
 本日は、山菜弁当です。

 こだわりは早春の庭園で、ほほっこりしようと用意した左手前の甘酒だったのですが、予想に反する暖かさで、少し拍子抜け状態です。
 麹から手作りの甘酒なのですが。少し甘みは弱めなので、食後に楽しむことにしました。
 菜の花の横の芝生広場では、グループが車座で花見状態です。いいですね。

新しい茶屋の内部見学会

 お弁当を食べ終わったら、園内放送で、これから松の茶屋の特別公開があるから興味のある人は、集まれとのこと。
 いそいそと、松の茶屋へ向かいます。途中、工事中で通れないところがあり遠回りに。
 (園内の道標、茶屋が新しく出来たせいも有るのでしょうが、あまり的を得ていない感じがしました。)
 ちょっと迷いながらも、茶屋に付きます。
 浜離宮に最後に来たのは、随分前で松の茶屋は初見学です。
 さすがお金かけてますね。
 内部のふすまも江戸時代の模様が紙屋さんに残っていて「江戸からかみ」、特注だそうです。美しいです。

 (新しいと言っても2010年に建てられたんですね。7年前か。「燕の御茶屋」の方は2015年6月というから最近ですね。こちらはボランティアと一緒でも中にはいれません。現在「鷹の茶屋」が復元中です。)

ボランティア解説って難しいです

 茶屋は普段はもちろん入れません。
 棚や欄間、外の池の景色など楽しんでいたら、ボランティア解説を始めるから、座ってくださいとのこと。
 多分研修を受けたご婦人なのでしょうが、リーフレットを読めば書いてあるような庭園の歴史や特徴など、とうとうと解説しはじめるのには少々閉口しました。
 後半は、茶屋に関わる解説などは楽しめましたが、
 こういう解説ボランティアって難しいですね。
 わかっている人には退屈だし、先に進むためには基本的なことを知らせなくては、いけないってこともわかるし。

茶屋(中島の御茶屋)では振袖姿のおねんさんが

 濱入りの池に立つ中島の御茶屋では振袖姿のお姉さん方が楽しんでいます。
 見てるだけでこちらも楽しめますね。

 よくハロウィンの仮装やゆかた姿では、入園料割引とか民間施設だと有りますが、日本庭園でもやって見たらいいんじゃないでしょうか。
 絶対受けるとおもいます。海外のお客さんとかにも。

大規模庭園ならではの景観です

 御亭山(おちんやま)からの景観、さすが大規模庭園ならではのすばらしさがあります。
 なかなかこの濱入りの池と松、芝生のゆったりとした日本庭園らしい景観は他では楽しめませんよね。

 なぜかこの御亭山、HPの見どころ紹介にも、浜離宮恩賜庭園マネジメントプランにも公園の主な施設として挙げられていません。
 3つの汐入の池の真ん中にあり、茶屋からの室内からの景観を別にすれば、浜離宮らしい景観を楽しむのには一番の場所のような気がしますが。なぜでしょうか。
 利用者の方々は、ひっきりなしに登って、景観を楽しんでいました。

文化財指定は、庭園だけでなく周辺の海も含みます

 何度も触れたように、現在は特別名勝と特別史跡のダブル指定庭園ですが、文化財指定の経緯を見ると、昭和23年名勝及び史跡として指定がされ、その後27年の3月に海面50間、河川10間の周囲が追加指定されています。

 で、同じ年の11月には特別名勝と特別史跡に指定されてます。
 年度が違うとは言え、なんでいっしょに指定されなかったのかとか、気になるところもありますが、庭園だけでなく周辺の海や川も網をかけるってのは、なかなかやりますよね。
 さすがに高層ビルまでは無理だったようですが。

松の管理、法被姿が絵になります

 みどり摘みには少し早いので、いわゆるな抑制型 自然樹形剪定というやつでしょうか。
 普通の都市公園と違い、このへんの植栽管理は、手掛けてますよね。
 ちなみに浜離宮では、同じ松でもエリアにより手をかける公開庭園型管理と都市公園的管理の松に分けて管理を行っているそうです。

 法被姿がかっこいいですが、緑のコーンパイプがちょっと、です。
 仕方ないのかな。
 目立たなくちゃ意味なさないですもんね。

こも巻きが珍しかったのでしょう

 マツのこも巻きが珍しかったでしょうね。
 外国からのお客様が、スマホで写真撮ってました。

 面白かったので、スマホで写真を取っている姿を写真撮ってみました。

庚申堂鴨場の護岸

 護岸のつくり、あまり見ませんよね。州浜とも違うし。
 なかなかきれいです。

菜の花をバックに梅の花、メジロが遊びます

 まだ寒さが続く2月とはいえ、浜離宮恩賜庭園では菜の花と梅が春を感じさせます。
 特にこの日は暖かい一日でしたので。
 梅の花だけもでも、みんな大喜びなのに、
 なんとメジロくんが、梅の花で遊び回りだしました。
 みなさんさん、大喜び。夢中でカメラを構えます。

 メジロくんも、カメラに追い回されてもあまり気にせず、梅を楽しんでいるようでした。
 春ですね。

 ということで、すっかり大名庭園の雄大さの余韻より、
 メジロくんの余韻のまま、ほっこりと芝離宮庭園に向かいます。

公園訪問:浴恩園跡を見に行く(移転問題に揺れる築地市場)

浴恩園跡を見に行く

わたし、現在は埼玉に老犬と一緒に住んでおりますが、東京生まれの東京育ちです。

今話題の築地市場。魚好きのわたしにとって、今まで相当お世話になってきたはずですが、一度も行ったことがなかったので、市場自体がどうなるかわかりませんが、現在の市場を見ることはいずれにしろ、そろそろできなくなりそうなので、その前にと、浜離宮から芝離宮を回る前に、築地を見てから行くかと。2月にしては暖かい日差しを感じて、家を出ました。

にぎわう築地市場(場外市場)
にぎわう築地市場(場外市場)

築地市場ではなく、浴恩園跡を見て、江戸前の大名庭園を感じるという名目で、、

ただ、巷で話題の場所とは言え、築地市場を公園訪問ってのも節操が無いと思い、

そこはそこ、調べてみたら築地市場は、幕末には海軍操練所、その前は松平定信が晩年作庭した、浴恩園という天下の名園だったとのこと。

残された絵図を見てみると、芝離宮を思わせる、ちょっと細々とした汐入の庭園だったようです。
リンク:江戸・東京ときどきロンドン

松平定信さん晩年は評判悪かったようです

惜しくも作庭完成後、松平定信さんが隠居してこの庭園に住んで、数年後に明暦の大火文政12年(1829年)の江戸の大火(kokutaronさま、ご指摘ありがとうごいます。)で消失、松平定信さんもその後すぐに亡くなられたようです。

松平定信さん晩年は、寛政の改革が厳しかったせいか、町民に評判が悪かったようです。

司馬遼太郎ファンのわたしとしては、勝海舟の海軍操練所跡地の話も面白そうですが、庭園つながりということで、今回は浴恩園跡地を見て、かつての江戸湾の雰囲気を感じながら、浜離宮、芝離宮を回ってみようと出発です。

まずは場外の見学から

ついたのは平日の昼前でしたが、さすが築地場外、なかなかの人手でした。海外からのお客さんもどこも多いですね。

よくアジアの市場のよう、と表現されているのを見ますが、感じとしては、昔の秋葉原ですかね。なくなってしまったラジオ会館とか、バッタ屋さんを思い出しました。

海鮮丼のカウンター店とか、マグロの握り寿司がパックに入って売られてるのとか、ちょっと美味しそうでした。

場外市場
どちらかと言うと昔の秋葉原、場外市場

ということで、場内へ

どちらが場内なんだろうと、なんとなくこっちかなと、ウロウロしながら場内へ向かいます。

入れました。

テレビで見たことのある、ターレーが走ってます。電動なんでしょうか、想像してたより音が静かですし、意外と大きいんですね。もっと、小さいバイクぐらいなのかと思ってました。

ターレーの走り回る場内
ターレーの走り回る場内

昼時の場内、人気寿司屋さんは行列ができてます

昼時ということもあって、さすがに人気店の寿司屋さんは受付終了の看板の前にたくさん順番待ちのお客さんが並んでおりました。

一度食べてみたいとは思いますが、築地とは言えそれなりの値段です(銀座当たりリに比べたら格安なのでしょうが)。

有名寿司屋さん前の行列
有名寿司屋さん前の行列

「やったねパパ、明日もホームランだ」

ということで、有名といえばこっちも有名店、吉野家一号店です。

「やったねパパ、明日もホームランだ」で育った世代としては、一度見て見たかったお店です。

こちらは、空き椅子もあるようで、待たされることもないし、値段も他の吉野家より高いということもなさそうです。

ガイドブックなんかによると、他の店舗よりもツユダクやネギ抜きなど、細かく対応してくれるし、店員さんもベテランが多いとのことですが。

今回は、お弁当持参なので記念撮影だけすまします。

吉野家一号店
牛丼一筋100年になったんだろうか?の吉野家一号店

一般客向けの室内販売所、静かです

市場の人が仕事している場所を、あまりウロウロするのも悪いので、一般客向けの室内販売所にまわります。

場外のゴジャゴじゃした雰囲気より静かで、清潔感を感じます。が、静かです。

魚も新鮮で安いんでしょうが、アメ横のような衝撃的な安さはありませんでした。

新鮮で良い品を、お安くしておりますという感じなんでしょうか。

一応、リュックの中に保冷バッグは持ってきたのですが、何も買わずに出てきてしまいました。

一般向け商店街
一般向け商店街

浴恩園跡地の看板はすぐ見つかりました

結局、なにも購入せず浜離宮庭園へ、途中、浴恩園跡地の看板があるはずです。

しばらく歩いたら、すぐに看板は見つかりました。東京都教育委員会が東京都指定旧跡ということで、出したものです。

内容読んでる人ってめったにいなさそう。

浴恩園跡地の看板
浴恩園跡地の看板

松平定信といえば日本最古と言われる南湖公園の作庭者ですよね

松平定信さんと言えば、公園関係者にとっては南湖公園の作庭者としても重要です。

南湖公園、この前このサイトでもオブジェクションマッピングをするというニュースを紹介しましたが、なんで日本最古って言われてるんでしたっけ?

昔、会社の社員旅行で福島に行ったときに寄ったことがあり、いわれも聞いた気がしますが。

wikipediaで調べたら、
日本の公園制度は、公園の項にもあるとおり1873年(明治6年)の太政官布告からであるが、「南湖」が「日本最古の公園」とよばれるゆえんは、1801年(享和元年)、楽翁こと白河藩主松平定信が造成したこの湖の地を身分の差を越え庶民が憩える「士民共楽」という思想を掲げ、レクリエーション地として開放した場所とし、それが今日まで現存しているためである[4]。

誰が言い出したんでしょう? なんか、あまり科学的な検証はされてないような。。(^_^;

ぐぐってみると、同じ福島県にもっと古い「日本最初の庶民公園 向ヶ岡公園」福島県塙町観光協会ってのがありますね。

なんか調べたらもっと出てきそう。。

まあ、「日本最古の公園」として頑張ってるの邪魔すのもなんですので、あまりほじくらないほうが良さそうですが。

(しかし、塙町、微妙に「日本最初の」とか、「庶民公園」とか表現に気を使ってますね。(^_^; 元祖、とか、本家とか地方名物の老舗争いじゃないですが。

昔を感じるものは、難しいですね

現在の築地の浴恩園に戻りますが、現在は市場となり、周囲も高級なビジネス街。かつての風流を感じるのは難しいですね。

オフィスビル
オフィスビル

ということで、浜離宮庭園へ向かいます。

公園訪問:入園料150円也の旧古河庭園を楽しむ

入園料150円也の旧古河庭園を楽しむ

旧古河庭園と言えばやはりバラ園でしょうが、花期の長いバラといえ、流石にこの時期には咲いていませんでした。

ジョサイア・コンドルデザインの旧古河邸
ジョサイア・コンドルデザインの旧古河邸

旧古河庭園は、六義園の半額! ですが

都立庭園の入園料、六義園は300円でした、同じく後楽園と浜離宮が300円、ほかの都立庭園はだいたい150円、たしかにこの3庭園は歴史、規模、デザインともに戦艦級、旧古河とか他の庭園の2倍か、と思ったら、

旧岩崎邸が400円ですね、、新しいからでしょうか? それとも岩崎邸は庭園扱いではなく、井の頭自然文化園のようなあつかいなんでしょうか。

夢の島熱帯植物館が250円、神代植物公園500円とくらべると旧岩崎ってちょっと高くない?

と、まあ、400円でも、その価値と過ごす時間考えたら喫茶店のコーヒー一杯分、、不満なわけではありませんが。

邸宅の中は整備中で、はいれませんでした

なんで、入園料にこだわったかというと、邸宅の中に入れなくても、同料金とんの? ってちょっとセコく思ったからです。

こういうの管理者としてはめんどくさいですよね。条例で料金や休館日など基本は決まっているので、指定管理者がかってに変えることも出来ないでしょうし。

でも、わたしは庭園の方がメインだし、邸宅内も何回も入っているので、「入れないの」で済みますが、コンドルのファンで、建物を見に来たって人にとっては、「えー」ですよね。きっと。

指定管理者として、もう少し中に入れないことは大きく扱って良い気がしますが、

あしかがフラワーパークなんかだと入園料は変動です

民間施設のあしかがフラワーパークなんかだと、園内の様子によって、300円から1700円まで、かなり細かく時価?で、入園料を設定してますね。

無料券とかも配ってるし、団体で食事すると入園は無料とか、実質的に無料な期間もあります。

なかなか料金設定は難しいですね。場所によっては駐車場の料金とかもありますし。

(バラも咲いてないし、同料金とるんか、)

もちろん、そんなせこい文句、窓口で言ったりせず、だまって150円払って園内に、

海外からのお客さん増えましたね

六義園もそうでしたが、海外からと思われる利用者増えましたね。ほんとに。

平日の昼間ということもあるでしょうが、日本語のほうが少数派の感があります。

階段から茶屋を望む
階段から茶屋を望む

園内、静かでいい雰囲気を醸しています。

旧古河庭園は地形をうまく利用してますよね。

どうしても六義園と比べてしまいますが、広いとはいえない庭内、息を呑む美しさで造園しております。

大正時代の上流階級のお客様を楽しませるの工夫といっぱいです。 美しいですね。

心字池と橋
心字池と橋

染井門からコンドルの煉瓦洋館へ

カーブの美しいアプローチ
カーブの美しいアプローチ

この門をとおって、馬車でコンドルの煉瓦洋館へ向かうんでしょうね。カーブが美しく洋館へ向かうまでは造園的には抑えた演出です。馬車の中でしょうしね。お客様は。

邸宅の門 内側から
邸宅の門 内側から

ちなみに、染井門の外は現在こんなかんじの街区公園です。園内からはみることが出来ません。

邸宅の染井門の外のちょっとした空間、活用されてます。

岩崎さん見たらどう思うんでしょうか。

邸宅の門 外側から
邸宅の門 外側から

以下、イメージ写真で園内の雰囲気をお楽しみください。

シャクヤクの赤が幻想的です

ちょっと暗めの庭園で、雪囲されたシャクヤクの赤が幻想的に生えています。この辺の演出はさすが慣れてますよね。

シャクヤクと雪囲い
シャクヤクと雪囲い

関東らしい溶岩の石積み

京都の小川治兵衛ですが、関東らしい溶岩の石積み、力強さが感じられます。

関東らしい溶岩の石積み
関東らしい溶岩の石積み

こういう使い方もあるんですね

バラ園をつなぐ階段が、植栽できれいに。前はこうなってなかった気がしますが。不思議な植栽です。けっこういいけど、有料庭園ならではですね。手間かかるだろうしいたずらされそう。

斜めにさす日差しにベンチがきれいでした

日が傾いてきて、斜めに差し込む洋館のテラスのベンチがきれいでした。

日の傾きとベンチ
日の傾きとベンチ

ジョサイア・コンドルの素敵なデザイン

コンドルのデザインって好きです。本当に素敵だと思います。

洋館
洋館

ということで、少し早足に回って、居酒屋に向かうのでした。

公園訪問:染井霊園は墓地でした

猫が遊ぶ、墓地でした

染井霊園ははじめて訪問です。都市公園ではありませんが、六義園や旧古河庭園と同じ東京都公園協会が管理する霊園です。

染井霊園
染井霊園の雰囲気

想像してたより、ずっとお墓っぽいというか、墓地ですね。

歴史がある分、すごく豪華なお墓とかあり、墓地としての見ごたえは充分ですが、オープンスペースとしての面白さはあまり感じられませんでした。

でも、開園が明治7年9月1日というからすごいですね。明治7年を調べたら、2月に新橋・京橋間に鉄道設置、12月には東京でガス灯がはじめて灯され、かたや江藤新平氏らの佐賀の乱が起きたりと坂の上を目指しはじめた時期ですかね。明六雑誌も明治6年じゃなくてこの年に発刊されていました(明六社の設立が6年なんですね)。

二葉亭四迷のお墓
二葉亭四迷のお墓

明治初期の文化人が眠る墓地です

ということで、岡倉天心や高村光雲ファミリー、二葉亭四迷など、教科書で習う明治の文化人が眠る墓地をひととおり見て回ります。

悲しいことに、特にファンということもでもないのでお墓を見ても、「そうか」という程度の感想でした。

好きな人には、たまらないんでしょうね。見ごたえのあるお城のような、すごいお墓もたくさんありました。

ということで、早々に旧古河庭園へ向かいます

公園訪問:冬晴れの六義園deお弁当

1月の寒空、お弁当を持って、六義園から染井霊園を回って、旧古河庭園へ都立庭園めぐりをしてきました。

六義園は一番のお気に入り庭園です

六義園は一番のお気に入り庭園です。何年かぶりに訪れることができました。入り口の券売所に隣接する図書販売コーナーでちょっと立ち読み。東京都公園文庫の六義園をパラパラと開き目に止まったページに気になっていた、

特別名勝だけしか指定されなかった理由

当時東京都の造園技術者は、特別名勝と特別史跡ダブル指定を申請したそうですが、時代が日中の実質的な戦争状態、第二次世界大戦前のきな臭い空気のなか、柳沢吉保が、時の権力者へおもねり贅沢三昧な悪徳政治家というイメージがあったため、特別史跡とはされなかったとのこと(パラパラとの立ち読み知識なので、かなりいい加減ですが(^_^;

 かねてから、浜離宮や後楽園がダブル指定なのに、なぜに六義園は特別名勝だけなんだろうか(?_?)と疑問になっていたので、納得。

ちなみにこのダブル指定は、先の2庭園のほか金閣・銀閣の2庭園、京都三宝院、奈良平城京左京三条二坊宮跡庭園の6庭園だけです。

毛越寺庭園は特別名勝だけでしょ(^_^;

今ちょっと確認のために奈良市のHP見たら「特別史跡と特別名勝の両方に指定された古代の庭園は、当園の他は平城宮跡の東院庭園と岩手県の毛越寺庭園の2ヶ所しかなく・・」って、記載ありますが毛越寺は毛越寺境内が特別史跡であって、庭園は特別名勝だけですよ。。金閣や銀閣みたいな建物と庭園が一体となったものなら、まあ、二重指定っていってもおかしくないけど、毛越寺庭園は、ちょっと違うでしょって気がしますが。

と、少し横道にそれましたが、

当初はスポーツ公園! 朝日新聞に叩かれてます

園内に入って、パネル展示に寄付を受けた庭園にスポーツ施設も併設し、スポーツ公園として供用開始させるつもりって(岩崎氏の意向もあったよう)、これに対して6月7日付の東京朝日新聞の記事があり「六義園が東京市に寄付されたが、これがまた心なきお役所技師によって、コンクリートとペンキとブリキの犠牲にあって寄付者の行為を了らしめないように祈るものである。」

うーん、書かれてますね。「心なきお役所技師」って文書は「その筋のブレインスタッフの協力再検討を要することと思う。」で終わってます。うーん、ここまで新聞で書いてたんですね。昔は。

気を取り直して門をくぐって園内に。

園内は雪吊りされてました

さて、やっと園内に、園内はきれいに雪吊りがされていました。池に映る逆さ雪吊りもきれいです。冬晴れです。

さすが、お金かけてすね。

雪吊り

滝見の茶屋、好きな場所です

水分石の流れの前の滝見の茶屋、ぼんぼりがついてました。夏は涼しさを感じられる流れも、冬は厳しさを感じることがあるんですが、ぼんぼりがつくことによって、なんかほっこりさせてくれてます。

なかなか素敵な雰囲気だしてます。

ぼんぼりつき東屋

ツツジ茶屋 なぜにツツジ?

前から思ってたんですが、いまいちこの東屋バランス悪いですよね。

ツツジ材の建築物ってのは珍しいけど、珍しいだけじゃんって、ザクロの木でもなんでも珍しいだけなら他になんでもありそうだし。何かいわれがあるんでしょうか(?_?)。学がないと日本庭園はなかなか楽しめない部分ありますね。

海外からと思われる女性の方が熱心に見てました。

ツツジ茶屋
ツツジ茶屋

大好きな蜘蛛(ささかに)の道の対岸でお弁当

ササカニの道
ササカニの道

六義園でお弁当を使うときはいつもこの、蜘蛛の道の対岸で夏は木陰、冬はひだまりで楽しんでます。この日はコサギも昼食に来てました。

はずかしいのでお弁当写真は小さく。餃子弁当です。

餃子弁当

六義園は橋がインパクト与えてますね

あらためて、写真見ると六義園ってけっこう橋がインパクト与えてますね。

というか、大名庭園自体がそうなのか。他の大名庭園もインパクト強い橋が多いですね。

藤浪橋
渡月橋
渡月橋

出汐の湊っていうんだ

素敵な水辺空間です。出汐の湊って名前だったんですね。

六義園は柳沢吉保が古今和歌集の歌の世界を表したテーマパークですが、素養のないわたしにはそのへんの楽しみ方ができません。

悲しいかな。

出汐の湊
出汐の湊

スポーツ施設は区の管轄です

さて、園内を満喫した後は、入るときに気になったスポーツ公園としての部分、現在は区の管理する公園ですが。を見てきました。

公園というか、グラウンドですね。

スポーツ公園

公園経営の視点

公園経営として
公園経営として

 さて、この写真に映る建物、実は昔は公園課が持ってた土地なんです。後ろに見える樹林は六義園です。道路と六義園の間、帯状にほんとに一皮ですが。

岩崎氏が東京都に寄贈するときに、東京都じゃ庭園の維持管理費出せないだろうからって、この土地も付けてくれて、この土地の借地料を維持管理費にあててねって、話だったそうです。

公園経営コンサルタントとしては、実に興味深い話ですが。

今は昔の物語。

店舗や建物の名前には「なんたら六義園」ってのが多いですね。

当然現在は普通の民地です。一等地ですね。

ということで、時間がまだあったので、旧古河庭園に向かう前に、行ったことのなかった、染井霊園によってみることにしました。